Ave Verum Corpus – die erste Einführung

Ave Verum Corpus イントロそのいち 歌おうと思い立つ。

思い立ったのはいいが、聞くだけなら意味がわからなくても音の感じだけで楽しめるけれど、歌うとなるとやはりその意味がわからないままでいるのはためらわれる。

映画「千と千尋の神隠し」の曲である「いつも何度でも」をたくさんの外人さんたちがうっとりするような綺麗な声で歌っている。
皆、歌の意味は翻訳で分かっていると思う。現に各国語に翻訳された歌詞で歌っている人もたくさんいる。その歌い手さんたちがこの歌を十分理解した上で歌っていることはわかるし、彼らが思い描いている情感は、とてもよく伝わってくる。まさに、エモい。
でも、その発音やアレンジなどから、「ことば」としての日本語を知らないまま、その「音」の美しさだけを追求しているのもわかってしまう。

また、翻って、わたしたち日本人は猫も杓子も、カタカナでベートーベンのan die Freude、「歓喜の歌」を歌う。
「Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium」
「風呂出で 詩へ寝る 月輝る 粉健 とホテル 会う末 理事 生む」と覚えるらしい。
最終楽章まで堪えて堪えてそのあとの大爆発、あの高揚感はたしかにたまらないけれど、そこにあるのは情動100パーセントの「音」であって、「ことば」ではないように思う。

いま、わたしはAve Verum Corpusを歌いたい。

歌いたくても、ああなるのはなあ、なんか意味がわかるような動画ないかなあ、とYouTubeを漁っていると、もうカタカナ日本語どころじゃない、全世界規模で好き勝手歌っている。語釈、発音なんか二の次で、ハモれればなんでもいいのだ。いや、ハモらずソロでも、ソプラノやテノールがうっとりするような声で歌っている。実際、このメロディーはとにかく美しい。モーツァルトはやはり天才。ベートーベンの第九のような交響楽団も合唱団もいらない。ただただ美しい。そのハードルの低さに、誰もがチャレンジしている。みんな楽しそう。

というわけで、好き勝手歌えばいいじゃんというのが圧倒的多数派な中、歌詞をそのまま理解したいという偏屈な者への扉は意外と狭いことがわかった。この曲自体も有名だし、ラテン語はそんなマイナーな言語ではなかろう、宗教としての背景までは望まないから、言葉通りの意味だけなら誰か解説してくれているのでは、と、インターネットの海を泳ぎ渡ってみるのだが、全体を意訳、解釈するものから、個々の単語をひとつひとつ機械的に置き換えているものまで、様々なサイトがあるがどれも帯に短し襷に長し。むしろ混乱する。

とくに最初の「ave」はもう何が何だか分からぬ。

サイト「山下太郎のラテン語入門」にある説明が一番納得できた。
(以下引用)
「avē は「元気でいる」を意味する第2変化動詞 aveō,-ēreの命令法・能動態・現在、2人称単数です。(中略)相手(1人)に向かって、「元気でいなさい」と繰り返しています。(中略)avē(中略)という表現そのものがいずれもあいさつの言葉として日常的に用いられます。相手が複数の場合は、avēte(中略)となります。」
(引用ここまで)

和訳を確定しようとするのは不毛で、「心のこもった挨拶」だと思えば良いだろう。

あとはサイト「コスモス混声合唱団」とサイト「三河市民合唱クラブ」の説明が、文法的な説明としては一番きちんとした語釈だと思うので、それらをベースに自分なりに整理していきたい。

でははじめよう。(つづく)

なにかひとこと。