Ave Verum Corpus – Teil IV

Ave Verum Corpus 第4行

*テキスト*
estō nōbīs praegūstātum in mortis exāmine.

*構文*
この行はestōという命令形を中心に、与格nōbīsと主格補語praegūstātum、そして前置詞句in mortis exāmineがぶら下がる構成。

*各単語*

estō
sumの二人称単数未来命令法。
< sum esse fuī, intr (英語のbeにほぼ同じ)

いままでずっとcorpusを主語としてきたけれど、ここで初めて二人称が主語になった。
後続するpraegūstātumを補語として、…となってください、と希求している。

nōbīs
egōの複数与格。
< egō

egōは英語のIにあたり、そしてその複数weにあたるラテン語がnōsで、その与格がnōbīs。
ここでの与格は「…に」、「…にとって」というニュアンス、すなわち、英語でいえば第4文型の中の「間接目的語」のような感じに近い。

praegūstātum
praegustōの完了分詞praegustatusの変化形。
< praegustō -āre -āvi -ārum, tr [prae-/gusto] 前もって[人より先に]味わう、試食[毒味]する

分詞を名詞として、つまり単数中性主格の名詞として扱っている。
人より先に味わったひと、とはつまり、われわれより先に体験したひと、先人、先達、ということ。

in
prep <+abl> 同前

mortis
morsの単数属格。
< mors mortis, f [morior] 死ぬこと、死、死亡
< morior mori mortuus sum, intr dep 死ぬ、枯れる、しおれる

後続するexāmineを修飾している。

exāmine
exāmenの単数奪格(inが奪格支配なので)。
< exāmen -minis, n [ex-/ago] (蜂の)群、群集、(天秤の)指針; 平衡、釣合い、吟味、審査

英語にもexamとあるから、てっきり試験という意味かと思っていたら、蜂の群とか釣り合いとかの意味もある。
このmortis exāmineの訳としてよく見かけるのが「臨終の試練」ということばなのだが、辞書の訳を見ると少しミスリードかもしれないとも思う。「試練」といってしまうと、死ぬほどひどい痛みや苦しみを与えてそれに耐えられるかを試す、というイメージになる。さらにいえば、こうした負荷はそれを克服するための道具、成長のための課題というイメージにもつながる。下世話な絵としては、「うはは、この試練に耐えられないようでは天国へ通すわけにはいかん!」という感じ。けれど、exāmenは辞書からは天秤によって重さを測るような、極めて冷静な、静粛なものだということがうかがわれる。
であれば、ここで死が天秤にかけているものは何だろうか。
それは、そこで死に臨んで発揮される忍耐力ではなく、今まで生きてきた人生経験の「総量」ではないだろうか。いわゆる「棺を蓋いて事定まる」という、あの話。

*まとめ*
「死の審判は誰も逃れることはできません。
どうかあなたがわたしたちにとっての先達となってください。」

(つづく)

なにかひとこと。