Mondaufgang

梅雨の合間、道すがら月の出に差し掛かった。
立ち止まってぼーっと見ていたら、
出始めから出終わりまで見届けることができた。
体感で数分。結構速いなあ、実際どれくらいなんだろうと思った。
思い立ったが吉日で、たとえば翌晩、
ストップウォッチ持って実測する方が早いのだが、
梅雨なのでそうそう晴れてはくれない。
計算してみることにした。晴耕雨読とはまさにこのこと。

まず、次の数字をググる。

月の直径 a = 3,474.8 km
地球までの距離 b = 384,400 km

さて、計算。

地球を中心として、月がぐるっと一周する長さは
(正しくは、地球が自転しているのを、
相対的に月が地球を周回しているように感じるだけなのだが)
c = 2*π*b

これに対する月の直径の比率、つまり地球から見る月の視角は
d = a/c

この様子を、(縮尺を完全無視して)位置関係だけ示したのが図1。

[図1]

1日の時間は
e = 24*60*60 秒
なので、これに上のdを掛け算すれば、
月が自分の直径一つ分だけ移動する時間がわかる。

というわけで、月が昇りはじめてから昇りきるまで
f = e*d = 124 秒
おお、わずか2分。

と、思ったが、
月の出って毎日少しづつ遅くなる。
十三夜から小望月、十五夜となった後、順に、
いざよい、たちまち、いまち、ふしまち、ふけまち、
と、名前が変わるほどに。
それは月が地球を公転しているからだ。
地球の自転に月の公転を勘案すれば、
どれくらいのペースで遅くなるかがわかる。
今回の計算に使う月の公転周期は、
太陰暦の一ヶ月である朔望月の方で、
すなわち約29.5日。
つまり、上で計算したe = 86,400秒よりも1/29.5だけ、
月の動くスピードは遅いはず。

すると、
g = f*(1 + 1/29.5) = 128 秒
少しだけ長くなったな。

さらに、ここまで計算した時間は、
最初に考えたように、
月が自分の体ひとつ分だけ移動する時間だ。
この時間が月が昇りはじめてから昇りきるまでの時間と一致するのは、
観測地が赤道直下、つまり垂直に月が昇るという、
限定された条件の下でしかない。
図2に示した、月が地平線の下のAから地平線の上のBまで動く状況。

[図2]

けれど、観測地の緯度が上がるにつれ、
地平線から天体は斜めに昇るようになる。
その角度とは垂線から緯度だけ傾いたものになる。

そうするとさらに修正が必要になる。
こんがらがるので絵に描いてみた。

[図3]

図2を単純に緯度分だけ傾けたのが図3のA’からB’である。
これを見ると、A’の位置ではもう地平線からある程度姿を見せているし、
B’の位置ではまだ地平線から完全に昇りきっていない。

知りたいのは、A”のところから地平線に接しはじめ、
B”のところまで行って、完全に地平線から離れる、
その間の時間である。

A’からB’への距離よりもA”からB”への距離がどれだけ増えるのか、
その割合は、図4に示した三角形に注目すれば、
緯度のコサインの逆数であることがわかる。
h = 1/cos(緯度) = 1.20

[図4]

従って、水平線に月が昇り始めてから昇りきるまでに必要な時間は、
i = g*h = 150 秒

すなわち2分半となる。
うーん、それでもやっぱり体感よりずっと速い。
この勢いでこの大きな地球が回っている。

宮沢賢治作詞・石井歓作曲の「普香天子」が描写する
静かな情景が示すものの実態は、
轟々と唸り声をあげる大地の激しい動きだということがわかった。
そういえば、この歌詞の最後は
「おつきさま あなたは いま にはかに くらく なられます」
だった。
この詩が夜明けの月の入りの様子を「俄かに」と表現したのは、
切ないたまゆらを感じさせる詩情だとばかり思っていたのだが、
実際に月の動きには相当なスピード感があったのだ。

なにかひとこと。