予備校談義 その5 これでおしまい

前段まで、「なんとかのどこ、かける3」
の内容についての感想を述べてきたが、
最後に、この言葉を一歩引いて眺めてみたい。

このセリフが、(おそらくは30年もの)長きに亙って、
若者たちに受け継がれてきたということは、
やはり驚くべきことだ。
予備校をはさんで前や後の、
つまり、大学や高校、中学などの「有名校」は、
その時々で変わっていく。
そうした中で、予備校のブランドだけが固定している。
旧態依然。
なぜだろう。

若者ってば、ほんっと、保守的。というのが答えではないか。

学校や塾であれば、
本人だけでなく彼らを取り巻く大人たちがやいのやいのいう。
けれど、予備校は、
ちょうどいい具合に大人になりかけた世代のためのものであり、
かつ、大人にしてみれば「本来は行くべきでなかった」ところだ。
現実には、いちろうひとなみ、という言葉すらあるのに。
18歳の若者たちは、初めて、
自分の所属するところを自分で選ぶことになる。
しかも上の世代のアドバイスは当てにならない。
仮住まいなのだから、
どこに行ってもいいから一生懸命おやり、である。

そこで、彼らの情報収集能力、価値判断能力が、モロに現れる。
すると、彼らの手にする情報、価値観は、やっぱり、
あんまりdog-year的に変化できないんだろうと思う。

今回は、
その変わらなさに甘える形で昔話を披露したが、
しかし、この話題そのものが近いうちに消滅するであろう。
予備校というものがなくなる。
浪人というものがなくなるから。
高校教育の補完、あるいは高校の代替物そのものになったり、
既存の大学のオルタナティブとして大学そのものを新設したり、
大学入試の問題作成にまで関わろうとしている時代だ。

若者よ、世間は広くて、おもしろいぞ。

そしてもうひとつ。
このセリフが、
これら3つの予備校が存在しない土地で聞かれたというのも、
実は興味深い。
ここには、代ゼミのサテライト校の看板が駅前にあるだけなのだ。

若者の興味・関心は、ひどくバーチャルなものなのだ。
そういえば、センター試験なんて、
現実性とか有用性とかで判断したらえらいことになる。
体験していてもいなくてもいいからとにかく知っておけ、
というのは、リアルな人々からすれば、
とてもついていける発想ではないだろう。

いいなあ。若者の財産といっていい。
どんな情報も等価に扱うことができる。
もちろんこれは、
だまされやすいということと表裏一体なのだが。
世の中の固定した価値観をひっくり返すには、
こうした相対的なものの見方が必要になる。

あれ?矛盾したことを言っているかな。
と、投げっぱなしでこの稿を終わる。

なにかひとこと。